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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)5860号 判決

原告

竹中幸雄

原告

竹中ハツ子

右両名訴訟代理人

徳岡二郎

徳岡寿夫

被告

港区

右代表者区長

川原幸男

右指定代理人

内山忠明

外二名

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一原告らの二男竹中範夫が、昭和五三年度に被告の設置、管理している港区立三河台中学校の第一学年二組に在籍しており、当時、河野通太が同校の校長、武田幸雄が保健体育を担当する同校の教諭であつたこと、昭和五四年一月二三日第三校時(午前一〇時三〇分から同一一時一五分まで)及び第四校時(午前一一時二五分から午後零時一〇分まで)の同校一年一組及び同二組の男子の体育の授業に、武田教諭の指導のもとに持久走が行われ、武田教諭は、午前一〇時三〇分ころ、生徒を校庭に集め、準備運動としてラジオ体操第一及び関節の柔軟運動をさせた後、同校から約三〇〇メートル離れた港区赤坂九丁目七番九号所在の港区立檜町公園までランニングをさせ、公園に同一〇時五〇分ころ、集合させたこと、武田教諭は、まず公園内の一周約二〇メートルの池の周囲を三〇分間走行させたが、生徒のうち速い者は約三〇周し、遅い者でも一五周走つたが竹中範夫は八周しか走れなかつたこと、武田教諭は、三〇分間の走行後の約二五分間の休憩の間に、生徒に脈拍数を報告させ、次に、午前一一時四五分ころ、生徒に柔軟体操を行わせた後、池を一〇周走るように指示したが速い者は一二分台で走り、竹中範夫を除くと遅い者でも一七分で走り終えたので、午後零時一二分ころ、走り終えた生徒に整理体操を行わせ、同零時一七分ころ、帰校させたこと、竹中範夫は、そのころも走り続けていたが、九周目を走行中に倒れ、同零時三一分ころ、通行人が近くの郵便局から消防署へ通報し、同零時三五分に到着した救急車で六本木外科胃腸科病院に運ばれ、病院では心臓マッサージなどの救助行為がなされたが、午後一時五分、竹中範夫の急性心不全を原因とする死亡が確認されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

また、〈証拠〉によれば、本件の三〇分間の走行後の竹中範夫の脈拍数は、一分間一二二回であつたこと、竹中範夫は、他の生徒が帰校したころ、八周目を走つていたが、その後、午後零時二〇分ころ、九周目を走つて武田教諭の方に近付いたとき、武田教諭が学校に帰るといつたところ、その場にすわり込んだこと及び救急車が六本木外科胃腸科病院に到着したのは午後零時四七分であることを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

二そこで、河野校長及び武田教諭の過失の存否が問題となるが、河野校長及び武田教諭が一般的に生徒の安全につき配慮すべき注意義務を負うことは、当事者間に争いがないので、以下、原告らの請求原因第二項の2以下の過失行為に関する具体的な主張について検討する。

1  武田教諭が、河野校長から、都会の子は弱いから無理をさせないようにとの注意を受けていたこと、中学校学習指導要領において男子は長距離走二、〇〇〇メートルが目標とされていること及び本件の持久走が休憩をはさんで三〇分間の走行と約二、〇〇〇メートルの走行であつたことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、持久走とは自分の体力にあわせ長距離を持続して走ることをいい、中学校学習指導要領では女子の種目とされているが、武田教諭は、当時、一年度九時間の持久走を授業計画に取り入れ、三学期にすでに二回(授業時間としては四時間)、休憩をはさみ二〇分間及び一〇分間を走る持久走を行つて、走り方、呼吸法及び脈のとり方を指導しており、本件持久走は三回目(授業時間としては五時間目、六時間目)にあたることを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

右によれば、本件で行われたのは男子の持久走であるから、走行距離だけから、直ちに学習指導要領を逸脱する程度を評価することはできないし、また、学習指導要領は、全国的な教育の大綱的基準を示すもので、その具体的な内容は一応の目安となる基準を示したにすぎないとみることができ、各教科を担当する教諭は、その内容を尊重して授業を計画、実施すべきではあるが、その程度を超えた授業計画を直ちに違法とすることはできない。そして、本件の授業の内容は、速く走る生徒だと七、〇〇〇メートルから八、〇〇〇メートル近く走行したこととなることからみると、相当大きな運動量を伴うものであつたと考えられるが、右の通り、本件の前にすでに二回持久走を行い、本件においても三〇分間及び約二、〇〇〇メートルの各走行の開始前に準備運動をし、三〇分間の走行後には約二五分間の休憩をとつて、その間に脈拍数を報告させているのであり、〈証拠〉によれば、武田教諭は生徒に対し、体力にあつた走り方をするようにと注意していたことが認められ、これらの事実によれば、本件の持久走の実施は、必ずしも無暴なものということはできず、請求原因第二項2の(一)は理由がない。

2  武田教諭が本件持久走の実施前に、走り方と呼吸法の注意はしたが、生徒の健康調査をせず、ジャージーやタオルを準備するように指示しなかつたこと、竹中範夫は、公園にジャージーを持参せず休憩中も半袖ランニングシャツ及びショートパンツという服装であつたこと及び当日は、晴、平均気温摂氏6.6度、最高気温同11.5度、最低気温同0.3度、平均相対湿度四一パーセント、最低相対湿度二二パーセントであつたことは、当事者間に争いがない。しかし、〈証拠〉によれば、武田教諭は、最初に、持久走を始めたとき、生徒に対し、ジャージーやタオルを持つてくるように言つてあり、当日もジャージーやタオルを持つてきている生徒がいたこと、武田教諭は、本件持久走を実施する前に、体の具合が悪い者がいるかどうか確認し、喘息の生徒に一応の注意をし、また、風邪のため本件授業を見学していた生徒が二名いたことを認めることができ、他に右認定に反する証拠はなく、さらに前記認定のとおり、武田教諭は、一般的な注意として体力にあつた走り方をするように注意していたのである。しかも、〈証拠〉によれば、気温の低い時期に一般の人が薄着でランニングをすると肉離れ、腱断裂、筋けいれんなどを起こしやすく危険であることを認めることができるが、本件全証拠によつても走行後の休憩中の軽装が急性心不全を起こしやすくすることを認めることはできない。右によれば、請求原因第二項2の(二)は理由がない。

3  竹中範夫は、身長一五八センチメートル、体重五四キログラムであり、中学一年生としては肥満児であつたこと及び武田教諭は、竹中範夫が本件の前に行われた持久走においても、二〇分間に一、六〇〇メートルしか走れず運動能力が劣つていることを確認していたことは、当事者間に争いがない。

原告らは、当日の天候、竹中範夫の服装及び運動能力などからみて、武田教諭は午後零時一二分から同一七分ころには、竹中範夫がさらに走行を継続すれば身体上の事故が発生する可能性を認識できたはずであると主張するので、この点について検討する。

竹中範夫の死因が急性心不全であることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、急性心不全とは、突発的な現象であり、死亡の原因が心臓以外に求められないもので、解剖して検査しても他の身体諸臓器に死因に直接関係ある器質的変化が認められず、心臓、血管等にも従来医学的に記載されている器質的変化が認められない場合においてのみ判断されるものであつて、現在の医学ではどういう原因で心臓の機能が不全となるのか不明であること、本件の場合、竹中範夫の身長、体重のバランスからいうと心臓の重量は三〇〇グラムが平均であるのに、竹中範夫は二一〇グラムであり、このバランスがとれていなかつたことが問題で、小さいと機能が落ちるとの一般論からみて、竹中範夫の場合も機能的に低調であつたと考えることができるが、現在のところ、重量における心臓の低形成が機能においてどのような影響を有するのか不明であり、急性心不全の場合、解剖したときのひとつの特徴として心、血管系の低形成からみられることがあるというにとどまること、しかも、機能が軽度に落ちている場合には、生前の各種の検査をしても異状が発見できないし、原因が解明されていないから、急性心不全の発生を予見することはできず、その防止法もないことを認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、昭和五三年四月に三河台中学校では健康診断が行われ、同年五月に保護者から健康調査表及び保健調査表の提出があつたことは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉を考え合わせると、竹中範夫につき、小学校六年間の各健康診断及び昭和五三年四月の健康診断において運動を制限すべき異状は発見されていないこと、健康調査表及び保健調査表における回答においても何ら異状はなく、運動を制限する必要は認められなかつたこと、本件事故当日の登校前の竹中範夫の様子もいつもと変わつたことは何もなく、三〇分間の走行後の竹中範夫の一分間一二二回の脈拍数は平均よりややさがる程度の数値であり、竹中範夫は、脈拍数を武田教諭にはつきりした言葉で報告し、武田教諭が他の生徒を帰校させたとき、武田教諭に対し、走りながら八周目であると答えていること、竹中範夫の倒れたころの走り方は、歩いたり、走つたり、止まつたりというものであつたがこの走り方は、本件の前の二回の持久走のとき及び休憩前三〇分間の走行のときと変わらなかつたことを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。また、〈証拠〉によれば、身長一五八センチメートルの一三歳の男子の平均体重は、46.9キログラムであること、三河台中学校では、養護教諭が毎年四月の健康診断の結果、身長と体重のバランスを示すローレル指数を調査して生徒を四つのランクに分け、肥満とされる者を指導することにしているが、昭和五三年度においては、肥満とされたのは女子で一人いただけで、竹中範夫は、次のやや太つているというランクに該当するとされていたことを認めることができ、他に右認定する証拠はなく、これらによれば、体重五四キログラムの竹中範夫は体育の授業において特別の指導を要するほどの肥満児ではなかつたことが認められる。

判旨右によれば、竹中範夫の死因である急性心不全は、現在のところ原因及び予防法が解明されておらず、しかも、竹中範夫には何らの異状も見い出すことができなかつたのであるから、武田教諭に対し、本件の持久走において竹中範夫の急性心不全の発生に特別の配慮をすべき義務を認めることはできないし、本件全証拠によつても、武田教諭が持久走の実施中に本件の事故発生の可能性を認識できたと認めることはできず、請求原因第二項2の(三)の主張も理由がない。

4  本件の持久走が校外で行われたこと、武田教諭が生徒を観察する人員を配置しなかつたこと及び本件事故発生当時、他の生徒は帰校していたことは当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、武田教諭は、竹中範夫が九周目を走行中に、その場にすわり込んだので、その脈を調べたところ、微脈のため捜しきれなかつたので、竹中範夫を横にし、公園で一人でランニングをしていた人に学校への連絡を依頼し、二人でランニングをしていた人に救急車の手配を依頼し、竹中範夫をベンチに運び、人工呼吸をしたことを認めることができ、原告本人竹中幸雄の供述にはこれに反する部分があるが、直ちに採用することはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、本件事故の発見が遅れたり、応急の措置をとらなかつたことを認めるに足る証拠はなく、請求原因第二項2の(四)の主張は理由がない。

5  原告らは、河野校長が武田教諭に漫然と本件体育授業を実施させたとの過失を主張するが、右の通り、武田教諭につき本件体育授業における過失を認めることはできないから、この点を前提とする原告らの主張は失当である。

三以上によれば、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(安達敏 小松峻 佐久間邦夫)

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